あだ名はてっちゃん!東京パラ銀メダリスト宮島徹也さんによる夢の授業

あだ名はてっちゃん!東京パラ銀メダリスト宮島徹也さんによる夢の授業

アスリート全国学校派遣プロジェクト『アスリーチ』。
10月18日、パラリンピック4大会連続出場車いすバスケ日本代表宮島徹也さんが、富山県上市町立白萩西部小学校にアスリーチ!
競技用車いすを使った車いすバスケの授業を体育授業を行ました。

拍手で迎えられた宮島さん。車いすバスケの魅力がたくさん詰まった楽しく、笑顔があふれる授業になりました。

訪問アスリートご紹介


宮島徹也さん、富山県出身。
もともとバスケットボールをしていましたが、中学生の時、医療事故により左足を切断。
以降、車いすバスケに取り組み、パラリンピック4大会連続出場。東京パラリンピックでは銀メダル獲得。
現在は富山県車いすバスケケットボールクラブに所属し、選手、コーチとして活躍中です!

学校や地域のご紹介


上市町立白萩西部小学校は富山地方鉄道本線上市駅から車で約10分ほどのところにあります。創立147年の伝統ある学校です。
全校児童は43名と小規模校ですが児童のみんなは元気いっぱい。学校の玄関は吹き抜けになっており、明るくモダンな建物となっていました。夜には富山市の夜景や星がきれいに見えるそうです。

実技と講話の授業


体育館に集まった4.5年生13名の児童たち。宮島さんが来るのが相当楽しみだったらしく昼休みから児童のみんなはソワソワしていました。拍手の中登場した宮島さん。
自己紹介ではみんなにあだ名を決めて!と問いかけ、児童のみんなはてっちゃん!と決まり、今日はてっちゃんと呼んでねと、一瞬にして児童のみんなと距離が縮まったように見えました。


宮島さんは小学生の頃、バスケと出会う前は相撲をしていたらしく体格がかなり大きかったといいます。そこからバスケットボールに出会いバスケに打ち込み、中学生のころ富山県代表になるという夢を持ったといいます。夢に向かっている最中に怪我を負い、治療中に医療事故により足を切断することになったという、過去の辛かったことも赤裸々に話してくれました。
そんな中車いすバスケと出会った瞬間から「日本代表になる!」という新たな夢を持ったそうです。夢に向かうために支えてくれた友達、家族、指導者の方に感謝の気持ちをもって生活してきたそうで、児童のみんなにも支えてくれることが当たり前ではない、だから支えてくれる人に感謝の気持ちをもって夢に向かって進んでくださいとメッセージを送っていました。


講話の後は車いすを使って実際に車いすバスケを体験。まずはタイヤをみんなで装着するところから。みんな助け合いながらタイヤの装着が完了し、まずは鬼ごっこ。児童10人が逃げる中、鬼は宮島さんたった1人。あまりの速さにみんな捕まってしまいました。

今度は鬼交代。鬼10人対宮島さん1人。児童からは余裕だよ!と声が上がりますが…なんと宮島さんは逃げ切りみんなからは「すげーはやい!」と声が上がりました。2回戦は児童みんなで作戦会議をして挑み見事捕まえることができました。

もう1つゲームを挟み、最後は試合を行いました。児童たちは声を掛け合いながら、点を取るために全力で挑んでいました。点を取ったらハイタッチ、試合に出てない児童は応援をして試合はかなり白熱しました。試合が終わりみんなで1礼をして授業を終えました。

アスリートから児童生徒へメッセージ

夢を持ってください

自分は、1度夢を失ってしまった時期がありましたが、新たな夢を見つけてそれに向かって努力をしました。夢を持ったおかげで今の自分があります。夢に向かって努力をしていると、支えてくれる人が必ず現れます。支えてくれる人に感謝をしてください。夢を持ち、周囲の人に感謝をしていると、たとえ夢が叶わなくても宝物になります。夢を持つようにすること、もし夢がまだないなら大好きなことを見つけてみてください。

授業のまとめ

宮島さんは夢を持ち、支えてくれた人に感謝を忘れないことが大切だと何度も言っていました。そして普段の生活で不便な事やできないことがあるときに一言声をかけられるような人になってくださいと児童たちに伝えていました。授業でも車いすにタイヤをつける際わからない児童がいると、声をかけて助け合う場面が見られました。宮島さんの思いが伝わっている瞬間だなと思いました。終始笑顔が絶えず、思いやりにあふれている素晴らしい2時間の授業でした。

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