北京五輪出場・フェアリージャパンの坪井保菜美さんが新体操を取り入れた授業

北京五輪出場・フェアリージャパンの坪井保菜美さんが新体操を取り入れた授業

アスリート全国学校派遣プロジェクト『アスリーチ』。
2024年1月15日、北京五輪代表・初代フェアリージャパン(新体操団体)の坪井保菜美さんが、千葉市立稲浜小学校にアスリーチ!
新体操を取り入れた体育授業を行いました。

訪問アスリートご紹介

岐阜県・岐阜市出身の坪井保菜美さん。
初代フェアリージャパン(新体操団体)で北京オリンピックに出場し、2009年の世界新体操選手権への出場を最後に引退。引退後は、新体操の指導、アート制作、モデル業など幅広い分野で活躍されています。夢は24時間テレビのチャリティTシャツのデザインをすることだそうです。

学校や地域のご紹介

稲毛海岸に近い、千葉県・千葉市立稲浜小学校。
稲浜小学校は生徒数が少ない学校で、今回授業を受けた6年生は、1年生の頃から6年間学年1クラスでともに過ごした仲間。お互い慣れ親しんだクラスメートは、仲良く和気あいあいとしていました。

岐阜県出身の坪井さんですが、実は坪井さんが小学生のころ、岐阜から稲浜海岸まで合宿に遠征に来ていたことがあるそうです。
偶然にも縁のある地域での授業になりました。

実技と講話の授業

授業前半は、教室にて坪井さんの競技人生についての講話からはじまりました。
「ほっちと呼んでください!」と、親しみやすい雰囲気ではじまった坪井さんのお話。

5歳で新体操をはじめた坪井さんの、小学生のころの夢は「新体操の先生になること」でしたが、高校生で日本代表選抜メンバーに選ばれると、夢は「オリンピックに出場する」に変わりました。
その夢を叶えるために、毎日9時間ほどの練習をこなし、家族と離れての長期合宿生活もあったそうです。合宿生活では、チームメイトであり、チーム内でのライバルである仲間たちと自炊をする共同生活。

坪井さんは当時、人と話すことやコミュニケーションが苦手だったそうです。
夢に向けて、親元を離れての共同生活という挑戦、家族や仲間への感謝、オリンピック出場メンバーとなるための努力、を学ばれたことを具体的にお話してくださいました。

授業後半は体育館にて実技の授業。
柔軟体操をする際には、体の柔らかい坪井さんに「おおっ!」と歓声があがります。

まずはフラフープやボールなどを用いて障害物競走をしました。
その際に、坪井さんから「できないと先に言わない!」ことを約束するよう言われた生徒たちは、各々に挑戦します。
フラフープをくるくるまわしながら歩くこと、空中に投げ上げたボールをくるりと1回転した後に取るという一見簡単そうな動きでも、意外と難しいということを体験。

次はリボンキャッチ。実際に試合で使うリボンは、なんと6mもあります。試合で使うリボンをはじめて見た生徒がほとんどでした。
まずは坪井さんがクルクルとリボンをまわしたあと、高々と投げ送ったリボンを実際にキャッチする見本を見せてくれました。
そのあとで実際に生徒も体験をしてみたのですが、キャッチできた生徒がいて、大歓声があがり盛り上がっていました!

この日は寒い一日でしたが、2時間の授業が終わった後は心も体もポカポカの様子でした。

アスリートから児童生徒へメッセージ

挑戦・感謝・努力

生徒たちは、坪井さんが競技人生を通して学んだ「挑戦」「感謝」「努力」の3つを学びました。

「挑戦」
やる前から「無理!」と言ってやらなければ、できるかもしれないことも決してできるようにならない。
まずチャレンジをしてみてください。やってみる「努力」をコツコツして、挑戦したことができたとき、それは「自信」になります。

「感謝」
挑戦を応援してくれるご家族、励ましあえる仲間などまわりの方に「感謝」をすることを大切にしましょう。

「努力」
「できないこと」を「できる」ための努力をすると、自信につながります。
坪井さんは、当時代表メンバーになっても自信がなかったとき、チーム内で誰もできない技をコソ練をしながら必死に練習した努力があって、オリンピック出場メンバーとなったそうです。

授業のまとめ

「人前でお話することが苦手。でも競技を通して得たことを伝えていきたい」という思いでアスリーチに参加してくださった坪井さん。
生徒一人ひとりの名前を覚えて、一人ずつに声をかけながら授業を行い、わかりやすくあたたかい授業でした。
後日、担任の先生から「坪井先生の授業の翌日から、苦手な食べ物を食べることに挑戦している生徒がいる」とのご連絡があったそう。
ほっち先生の授業は、生徒たちに確実に伝わっています!

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