困難を乗り越え叶えたアテネパラリンピック金メダリスト高橋勇市さんによる「夢を諦めない!」特別な体験授業

困難を乗り越え叶えたアテネパラリンピック金メダリスト高橋勇市さんによる「夢を諦めない!」特別な体験授業

アスリート全国学校派遣プロジェクト『アスリーチ』。
12月7日、アテネパラリンピック金メダリスト高橋勇市さんが、山形県米沢市の南原小学校にアスリーチ!
「夢を諦めない!」ことについての講話とブラインドマラソン体験の授業を行いました。

今回参加してくれたのは6年生のみなさん。高橋さんのお話やブラインドマラソンの体験を通して、初めて体験する感覚に、いろいろなことを思う様子が見て取れる授業でした。

訪問アスリートご紹介

高橋勇市さん。秋田県横手市出身のプロアスリートでアテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。現在はトライアスロンでワールドカップなどに参戦する現役アスリートです!

学校や地域のご紹介

山形県米沢市にある米沢市立南原小学校。米沢駅から車で約15分の場所に位置します。創立が明治6年(1873年)と長く歴史のある小学校です。学校のスローガンとして「かしこく やさしく たくましい子ども」の育成を目標に教育を進められている小学校です。

実技と講話の授業

先生からの自己紹介を終えると、高橋さんによる「夢を諦めない!」ことについての講話が始まります。

まずは、自身が金メダルを獲得したアテネパラリンピックの映像が流れます。それを真剣に見入る子どもたち。映像が流れ終わると、高橋さんより「みなさんはどんな夢がありますか?」と聞いていく中で、「お金持ちになりたい人!」との問いに多くの子どもたちから手が上がりました。

そして、高橋さん自身は小学校のときは歌手になるのが夢で、中休みには教室の後でよく歌っていたそうです。また、その当時は走るのが嫌いであったことも伝えます。そして、小学校4年生のときの校長先生との出会いで徐々に走ることが好きになり、夢が「オリンピック選手になる!」へ変わっていきました。

中学校の時には陸上部に入部するも、なかなか結果が出ず挫折したことも。
しかし、高校生の時に、身体検査がきっかけで難病が発覚し「20歳で失明をしますよ」と告げられます。その診断通り、時が経つにつれて視力が落ちていきましたが、学校の友達や先生にもそれを伝えることができなかったそうです。
19歳の誕生日には難病が発覚した際に言われた言葉を思い出して絶望の渕に立たされますが、母親などいろいろな人の支えによって前向きに考えられるようになったそうです。

その後、パラリンピックのことを知り小学生のときの「オリンピック選手になる!」を思い出し31歳のときにブラインドマラソンにチャレンジすることに。
多くの成功や失敗、周りに支えられたからこそアテネパラリンピックで金メダルを獲得できたことを説明。
講話終盤には実際に子どもたちに金メダルを手にとって見てもらい、その際に高橋さんは「みんなに助けられて取れた金メダル」と伝え、講話の時間は終了となりました。

後半はブラインドマラソンの体験です。2人1組で片方がアイマスク等で目を隠し、もう1人が伴走者として誘導をします。最初は伴走者の肘を持って歩く練習から。次は伴走ロープを持って歩き、最後はゆっくりと走ります。児童からは「怖い!」「どこ!」「どっち!?」などの声もあがりましたが、今回同行してくださった伴走者の山内さんからのアドバイスや伴走者の的確な声を聞きながら、なんとかゴールへ。

ペアが交代すると、先に体験した子は、どのように誘導したら歩きやすい、走りやすいかなど考えながら取り組む姿も見られました。
最後は全員で記念撮影をして授業は終了となりました。

アスリートから児童生徒へメッセージ

夢を諦めないでください

みなさんいろいろな夢があると思います。その夢に向かって進んでいくときに出会った困難に負けないでください。諦めないで続けていればその夢もいずれ叶うはずです。
つらいことがあったりしたときには今日の話を思い出してみてください。みんなで夢に挑戦しましょう。

授業のまとめ

時折、冗談を交え楽しく話したり、自身で音声ガイドを駆使してパソコンを使うなどハンデを感じさせない力強さのある高橋さん。子どもたちも講話や体験を経て、一生懸命に取り組む力を感じ取れたのではないでしょうか。

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